序文 (堀口孝男,昭和57年11月)

経済指標の一つとして使われる港湾貨物取扱量を眺めてみると,外国貿易に
おいてわが国の輪入量が年間7億トンを越えたのは昭和48年からである.これ
に比して,輸出量はその2年前の46年から年間7千万トンに達しており,ほぼ
このあたりから,輸入量が7億トン,輸出量が7千万トンという形が走着して
きている.これを現在の金額で表わすならば,1400億ドルの輸入代金を支払
い,1500億ドルの輸出代金を稼ぐ結果となる.もっとも金額もさることなが
ら,これら物資の循環はわが国の死活間題となるわけで,この流通が止まる
ならばどのような結果になるか,第2次大戦の前後を通じていやという程経験
している.

上述の数値が示すように,輸入量の10%にしかならない輸出量に付加価値を附
与して100億ドルの差益をあげるところに,わが国の加工貿易立国の姿が如実
に示されている.しかもこのほとんどは第2次産業に負っており,またこれら
出荷額の半数を産出しているのは臨海立地の産業である.いうまでもなく,
台風,地震,津波など自然災害の頻発する沿岸部に,これら産業の立地計画,
防災計画,環境対策を樹立するうえで,わが国の海岸工学の研究成果が大い
に取り入れられたのは過去の経緯が示すとおりであり,また,これらの検討
対象から触発されて,新たな研究分野が海岸工学に展開されてきたのも事実
である.しかしながら,2度にわたる石油ショックの影響で臨海産業の主力を
占める装置型産業に暗雲が漂い始め,さらにはアジア中進国家の産業成長が
追い討ちをかける情勢となって,わが国の臨海産業は構造改善が必至という
状況となってきている.

ひとくちに言って戦後30年の経過を見るとき,30年一世代と昔からいうよう
に,どうやら一つの世代の終わりが近づいたように見うけられる.今後,第
2次産業はさらに高い付加価値の製品輸出を目標とせざるを得なくなるし,
これは量の問題より質の検討であり,この傾向が推移するならば,港湾はそ
の坂扱量を減じるとともに,高付加価値製品の輸出機構をいかに達成するか
という問題に直面することになろう.一方,臨海立地型産業のスクラップ化
の後に,新たにビイルトインされてくるものはないか,クリーン度の要請が
強い先端産業の立地が約束されるであろうか,あるいは都市両開発用地の提
供という,わが国でもっとも難しい問題の一つである土地対策への解決に寄
与させうるかどうかなど,さまざまな模索が始まってくるものとみられる.
さらに付言するならば沿岸域の生物生産力と環境との関係にかかわる認識変
化があげられてこよう.海洋法に基づいた諸外国の200カイリ経済水域の設定
は異常な圧力を生み,このため,逆に自国の内海,領海,経済水域の生産力
をいかに高めるかが重要な課題となってきている.したがって,貧栄養より
もむしろ栄養価が高く生産力の大きい海域の創出が必要となり,留意すべき
は富栄養に伴う弊害を除去する技術の開発であるという方向に眼が向けられ
てきたようである.これは,海域環境の管理技術の進展をめざすものであり,
水産技術系と工業技術系・都市技術系との学際的接触がようやく実を結ぼう
としているものと推察される.

昭和29年に発足した海岸工学も齢30に近づき,上述のごとき周囲の情勢から
みるならば,これに対応した次世代の構築へのスタンスがおのずから形成さ
れてこなければならないであろう.名称においては伝統を踏まえた海岸工学
でありながら,その内容においては前世代の枠を破り,総合科学としての沿
岸学となることが期待されるのである.

第29回海岸工学講演会は仙台市で開催されることになった.富城県,仙台市,
東北大学,東北工業大学をはじめとして,地元各関係機関の絶大な御支援に
感謝するとともに,土木学会東北支部,海岸工学委員会,論文編集小委員会,
土木学会事務局など,ご尽力を賜わった関係各位に対し,深甚な謝意を表す
る次第である.


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